笛吹坂の寺
笛吹山恵性院は、JR両毛線小俣駅から西北約五百米、笛吹坂と呼ばれている田足尾街道(鎌倉道)筋の山側に位置する真言密教寺院です。
寺伝によると、平安末期に真言宗別格本山鶏足寺末として吽誉法印により明月院と称し開創されました。
本尊は不動明王立像、脇侍衿迦羅、制多迦二童子立像再彩色、薬師如来像、五輪塔、法印尊光があります。
また、当山境内墓地に、県指定重文の「稚児の碑」という石碑があります。
延文五年に造られた石碑で、足利の伝説として残る稚児と郷土の娘の悲恋物語が秘められています。
往昔、京都の公郷の息子で信光という稚児が故あって明月院で僧道修行に励んでいました。
信光は笛の名手で、毎夜笛吹坂の上で静かな村里に美しい音色を響かせていたと言われています。
やがて寺の西に住む郷士大川義種の姉菊枝姫が琴の音で唱和するようになり、二人はいつしか相思相愛の仲となりました。
しかし、大川家では「道ならぬ恋は家名を傷つける」とした姫を監禁、ある寒い夜、信光にこがれながら姫は命果ててしまいました。
そして、信光も程なく姫との叶わぬ逢瀬にやつれ果て、亡くなってしまいました。
明月院が現在の恵性院と改称されたのは、宝暦元年、舜岳上人の中興の時とされています。
その後も、再三の祝融の災火で伽藍、記録等焼失して寺歴等不詳となり、現在の不堂は明治三十七年第十八世親海代の再建されています。
境内中央にある「小俣水子千躰地蔵尊」は現在二十三世俊明代に建立され遠近の人々の供養がございます。
挨拶
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住職
新井 一明
当山ホームページをご覧いただきありがとうございます。
住職の新井一明(あらいいちみょう)です。
当山は700年もの歴史のある寺院です。この間、様々な困難な時期を乗り越えて現在に至っております。
現在、寺院を取り巻く環境も厳しさを増しておりますが、どんな時代が来ようともお大師様の教えを日々の暮らしに活かし、ご先祖様あっての我々であります。
まずはご先祖様に感謝の心で檀信徒の皆様と共に精進努力していく所存でございます。合掌
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副住職
新井 康基
日頃より当山にご理解とご協力いただき誠にありがとうございます。
笛吹山恵性院副住職、新井康基と申します。私は大学を卒業後、高校の教員を8年間勤め、現在はお寺の仕事に専念をさせていただいております。
私が教員を経験した中で、大切であると感じたことは人とのつながりです。人はたった一言で大きく成長し、自信を持つことができます。つまり人は人に生かされているということです。これに気付くと自ずと他人への感謝の気持ちが湧いてくるはずです。この考え方は今後、僧侶としても大切にしていきたいと思います。
近年では、核家族化、人口減少、人間関係の希薄化など私たちを取り巻く環境は日々変化しております。そのような状況において人々はどこかに心の拠り所を求めているように感じます。仏教の教えが2000年以上にわたって変わらず私たちの心に寄り添ってきたように、当寺も人々に寄り添い、心安らぐお寺を目指し取り組んで参りたいと存じます。合掌
年間行事
1月5日 | 不動明王厄除護摩大祭 |
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秋季彼岸 | 施餓鬼会 |
12月31日 | 除夜の鐘 |